ここでは、歴史的なことを踏まえて書くことが多いので、どうしても昔はよかったというノスタルジックな話になりがちです。個人的にもそのような古典的な作品に愛着があります。そのような文脈では、本やレコードといった「物」への愛着を捨て去ることは難しいことです。しかし、現在の世の中に生きている私たちは、時代にあったスタイルも共存させていく必要があるだろう、というのが今回の主題です。
例で説明しましょう。
読書や音楽愛好家はたくさんの本やレコードを持っていると思います。それらがいつしか家の中に多くの場所をとってしまうということはよく聞く話です。もちろん個人レベルではない図書館や大規模アーカイブでは、大きな建物と専門のスタッフが必要になってきます。
私の場合もそんなに極端ではなくても、かなりの本やレコードが家の中を占領しています。書棚やレコードラックに入りきれなくなると縦に積み上げたり、箱の中に入れることになってしまいます。一旦そういう状況になると奥に入り込んだものはアクセスが困難になります。また、思い立って必要なものを探そうと思ってもたどり着けなくなってしまいます。それが進んでくると実利的な問題も出てきます。ある日、探し回っていると、同じ本やCDが出てくることがあります。つまり、気がつかないうちに同じものを重ね買いしてしまっていたのです。しかも、そういう状況になっていることさえ気が付かなかったりするのです。さすがに、同じ本が3冊出てきたときは驚きました(ちなみに、それはA.C.クラークの本でした)。
単に整理が悪いと言われればその通りだし、返す言葉もありません。しかし、弁明するならば、ある程度の量になると人間の処理能力では対応できないということが起こるのです。このように量が増えてきて、どこにあるのかわからない、あるいはあることさえわからないということが起こると、結局それは存在しないのと等価になるのです。だから、たくさんの蔵書やレコードを持っているとしてもそれがアクセス不能になった状況ではそれは無いのと同じという矛盾した結果になるのです。
さすがに図書館はそれでは困るので、きちんと体系立てて分類整理して整然と並べることによってアクセスしやすいようにしています。さらにインデックスを作って書名や著者名から目当ての本を探せるように工夫しています。
ここから今回の本題になります。結論から先にいうと、現代は「量が世界を変える」時代だということになります。一方、少なくても50年くらい前では「質が世界を変える」時代だったということができると思います。つまり、ゆっくり時間をかけて「質」の変革を行ってきたといえます。特に西洋近代では、ある時代ごとにスタイルや様式が生まれてきました。時には過去のスタイルを大きく破壊することによって新しい時代を切り開いてきました。それが、ここでいう「質が世界を変える」の意味です。変革者の創造によってその時代の社会に受け入れられ少しずつ浸透していきました。
ところが、20世紀も後半になってくるとメディアの飛躍的な発展によって状況は変わってきます。特に、コンピュータが誰でも使える情報化社会になったここ数十年では様相が大きく変わってきます。それまでの「質の変革」の時代と大きく異なるのは、そのスピードの速さと扱う量の大きさです。それは、そのままコンピュータが扱う最も得意な分野になります。もう一つあげるとアナログからデジタル情報へのシフトが鍵となります。コンピュータはデジタル化された大量のデータを高速に処理する能力を持っています。当初は銀行などでのお金の計算や管理に偉力を発揮しました。
さらには、図書館などの文字情報による蔵書検索などでも使われるようになってきました。これらにはデータベース技術が使われます。デジタル化された文字や画像、動画、音声なども扱えるようになってきました。すなわち、文学、絵画、映画、音楽などの作品のコンテンツそのものがコンピュータで扱えるようになってきたのです。それらとデータベース技術さらには通信技術が融合することによって大きく世界が変わってきました。それをここでは「量が世界を変える」時代と呼ぶことにします。
それでは、どのように変わろうとしているのを見てみましょう。具体的な例としては、近頃、話題の電子書籍と数年前から始まっている音楽配信があります。
電子書籍を読むための端末の発売が目白押しです。記号化された文字の集まりであるテキストがサーバ上に電子データ化されデータベースになっています。それを我々個人は通信端末と使って読みたい本を検索し、購入したければダウンロードして手元でいつでもどこでも読むことができるという仕組みになっています。サーバ上に世界中の書籍が電子化されて載っていれば文字通り居ながらにして世界の図書館を手に入れたようなものです。普及はこれからですが、今まで流通していた「本」の在り方を変えてしまう可能性を持っていると思います。このように、現在は今まで人類が手にすることができなかった「量」を扱える時代になったのです。それが「量が世界を変える」であり、「量が質を変える」という意味になってきます。
一方、音楽の世界では一足早くデジタル化された音楽ファイルの配信サービスが軌道に乗っています。iTunesとiPodがその代表でしょう。日本でのiTunes Storeは2005年8月からでした。これがリリースされた日に使ってみたときの衝撃はよく覚えています。まさに音楽ファイルのデジタル化とデータベース技術さらにはネット配信の通信技術が世界を変えつつある瞬間を目にした思いがしました。
初めに書いたように箱に入ったCDを探し出すのは難しくて時間がかかります。見つけるのをあきらめることもしばしばです。そうなると何のために持っているのかという本質的な問題になってしまいます。一方で、iTunesに一旦入った音楽はすぐに見つけることができます。やはり、これは画期的なことです。
もっとも、音楽配信は初めのうちは面白くてかなり購入しましたが、今では「物」であるレコードを物理的な店に行って探し回って購入するスタイルに戻っています。なかなか旧来のスタイルを捨て去ることはできないようです。さらに、既に持っているたくさんのCDをiTunesに取り込むのには膨大な時間がかかるので、現在ではその一部のみしか取り込んでいません。もう一つの大きな問題としては、PCやiPodに取り込んだ音楽をオーディオセットで再生するにはその音質に大きな不満があります。
(もっとも今はTB級のHDが安価で手に入るので非圧縮形式でも音質のロスなく保存できます。非圧縮での音質ロスの問題は解決できそうです。後はPCなどのデジタル機器が出すノイズの問題やアナログ転送系の問題が残ります。マニアックなことですみません)
しかし、もし所蔵している全ての音楽がサーバ上でデータベース化され、音質も現在以上の状態で再生できるならば、レコードという物理メディアがなくてもいいかもしれないという思いはしています。そういう意味では、現在はまだ過渡期のようです。
「本」の方は、音楽より少し遅れました。これは携帯用の大きな表示装置の問題があったためです。それが現在では解消されつつあって、今年は電子書籍元年になるともいわれます。そうなれば、やはりどこにあるか見つけられないという問題から解放されるのでしょうか。しかし、やっぱりここでも既に手元にある本を電子化することはできません。
それに、レコードと同じように本が持つ「物」としてのアウラからは簡単には逃れられそうにもありません。
結論としては、新しいメディアを面白いと思って試しつつ、今までの「物」としての愛着を共存しながら生きていくことになるのでしょう。そう考えると、遠い将来、今を振り返った時は、その変革が起こった興味深い時代として記憶されることになるのかもしれません。
名作ライブ 鈴木
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