前回の続きです。東洋で守るべき写本は仏教の経典でした。その話が井上靖の「敦煌」に結実しました。一方、西洋で後世に伝えるべき写本を扱った作品が今回のテーマです。
戦後すぐに、死海の西岸にあるクムランで、大量の巻物になった写本が発見されたことは大きな話題になりました。書かれたのがちょうどイエス・キリストの時代だからです。つまりこれらを解読できれば現在の西洋の基盤を支えているといってもいい原始キリスト教が生まれた時代を知ることができるはずです。つきつめるとイエスは本当に存在したのかという謎に迫ることにもなります。
実際に、死海文書発見とその後の研究進展にはドキュメントとしても興味深いものがあります。しかし、この本は、史実に基づきながらもイエスは実在したのか、あるいはどのような出所であったのかという神学ミステリ仕立てで読ませてくれます。これが若き才女の処女作ということですが、驚くべき知識の宝庫と構成力にあふれています。
ちなみに、イエスの謎を扱った作品というと近年の「ダヴィンチ・コード」を思い出しますが、こちらの方が10年早く書かれています。
「クムラン」の主人公はユダヤ・ハシディーム(敬虔主義)の若者です。その周囲では死海文書を巡って次々と殺人事件が起こります。描かれる時代も何階層かになって、それぞれが重なり合って進んでいきます。ユダヤ教の思想など宗教的な説明もたくさん出てきますが、謎が謎を呼び、自然と先を読みたくなるようになっている構成力は見事です。キーワードはエッセネ派。イエスに洗礼を行ったとされるヨハネが属していたとされる集団です。(このヨハネは、サロメの物語に登場して有名です)今から2000年前のクムラン、エッセネ派、そしてイエスの存在が軸となって想像力を掻き立てられます。この本では最後に一応の結論あるいは終結が明かされるのですが、それをどう考えるかは読者の判断ということでしょう。
キリスト教やユダヤ教との関係について詳しくなくても、読むうちにだんだんと関係が見えてくるところもお薦めです。
キリスト教は、イエスの死後、弟子たちによって広められていきました。それらが様々な福音書という形で後世に伝えられることになります。そして、西洋の確固たる基盤となっていきます。西洋の芸術作品を見る上で、その影響は図り知れないものがあります。
個人的にはクリスチャンではないし、根本的には仏教思想の方がより理解できると思っています。しかし、小さい時から自然と西洋の文化や芸術に親しんできたことから、そこから生み出された芸術作品の素晴らしさには文句なく脱帽します。
絵画や美術作品では、キリスト教がなかったらほとんど優れた作品が生み出されなかったに違いないとさえ思われます。
音楽でも教会で歌われた音楽、グレゴリア聖歌が、その後ポリフォニーを得て、豊かな和声に発展します。その普遍性ゆえに西洋で生まれた音楽が、現在の世界の音楽の標準となっています。今ではポピュラー音楽が主流ですが、源流はそこまで遡れます。もちろん直接的な宗教音楽には数々の傑作が生まれています。中でもバッハの「マタイ受難曲」はその最高峰です。かつて「マタイ受難曲」の実演に接した感動は、今までの音楽体験の中で最も素晴らしいものでした。「魂が震える」という表現がありますが、それが実際に起こりうると実感できたのです。
普段はキリスト教に縁のない日本人でも、例えばヨーロッパに行って大きな教会の聖堂に入り、そのステンドグラスの光、あるいはパイプオルガンの荘厳な響き、残響がこだまする聖歌隊の歌声を聴いたら、文句無く感動できるはずです。そういう圧倒的な力がキリスト教にはあります。
宗教というのは時に争いを起こす原因にもなりますが、人類が生み出した文化や芸術にとってかけがえのないものであるということを、「敦煌」や「クムラン」を読むと理解できます。
名作ライブ 鈴木
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