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(43) 情報の爆発にどう向き合うか

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by meisakulive 作成日 2010年02月03日
 このところ思うところの雑感です。

 昔と比べて現代社会では情報が爆発しています。ここでも何度かメディア史などを紐解きながら触れてきました。現在は、新聞、雑誌、本、テレビにインターネットといったメディアを通して毎日大量の情報が発信されています。その情報の洪水に押し流されないようにしなければいけません。下手をすると溺れてしまいます。
 その中から自分にとって意味のある情報を読み解くスキルが必要になってきます。
その作業を毎日行っているわけですが、どうも全てが断片的になって全体が見えなくなっているように感じます。個別の情報や知識の量は増えても、それらが有機的につながり全体を構成する知の体系みたいなものが生み出されていないように思えます。

 昔と比較してみます。一昔前までは、我々の身の回りには限られたものしかなく、新しい情報や知識を得るためには知力、体力を駆使して苦労の末に手に入れなくてはなりませんでした。そこには知への渇望がありました。だからこそ得られた情報や知識から想像力が刺激され、物事を熟考することができました。そこから太い幹となった知の体系ができたのです。

 もう一つ異なる視点で見てみます。昔の日常は刺激が少なく毎日同じことを繰り返していました。すなわち「ケ」の状態です。一方で時折「ハレ」がやってきます。祭りが代表的でしょうか。この「ケ」と「ハレ」の区別がはっきりしていました。「日常」と「非日常」と言い換えてもよいでしょう。あるいは別の例えでいうと、光のある世界と闇の世界といってもよい昼と夜がはっきりとわかちあっていたとも言えます。その差が大きいからこそ人々は「ハレ」で熱狂できたのです。そのダイナミックレンジの大きさは現在の比ではありませんでした。

 現在は、その「ケ」と「ハレ」あるいは「日常」と「非日常」の区別があいまいです。あまりに刺激を与える情報が多いため「非日常」が「日常」化してしまっているとも言えます。昔の人が一生かかってもできなかったことを現代人は短い時間で楽にできてしまいます。つまりたくさんのことができるのです。遠くにも短時間に苦労せずに行けるし、たくさんの料理を食べたり、多くの文化的な芸術、スポーツに触れることができます。これはもちろんとても幸せなことです。

 しかしです。では、それで本当に現代人は昔と比べて幸福なのでしょうか。
夜も昼のように明るく、ハレとケもなくダイナミックレンジは狭まり、ちょっとしたことでは幸福感を味わうことができない人間になってしまっているのではないかと思うのです。

 例えば、外部からやってくる膨大な情報の前に思考が停止してしまって、深く考えることをやめてしまっているように思えます。昔は得られる情報や知識は限られていたから、その中に一体何があって本質は何なのかを沈思熟考したのです。

 ときどき思うことがあります。ほんの数冊の本だけをかかえて、情報洪水が襲ってこない山奥にでも隠れて一つのことに沈潜できたら幸せだろうと...
まぁ、もっともすぐに飽きてしまい現代文明社会に戻りたくなるかもしれませんが。

 名作ライブ 鈴木

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