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(8) 甦るオッペケペー

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by meisakulive 作成日 2009年05月26日  更新日 2009年05月26日
前回はアメリカの蝋管音楽の紹介でしたが、今回は日本人による
歴史上初の録音といわれている音源の紹介です。1900年(明治33年)
に、パリ万博に訪れた川上音二郎一座が録音したものです。

これは、とても興味深い音源ですが、その前に復習です。
前回、紹介したようにエディソンの銀箔円筒式の録音の発明が、
1977年で、その後、蝋管蓄音機が市販されました。これは画期的
なことでしたが、ワックスシリンダーは扱いが難しく、大量複製にも
向いていませんでした。
1888年にドイツ人のベルリナーが平円盤式のレコード「グラモフォン」を
発明しました。
これは扱いやすい上に、複製が比較的簡単にできるというメリットが
ありました。蝋管とはしばらく共存しましたが、円盤式が主流になって
いきました。その流れは、SPレコード、その後のLPレコードとして現在に
つながっていて、我々にもなじみが深いものです。

さて、表記の音源ですが、当時できたばかりのグラモフォンによって
録音され日本人初のレコードとなった歴史的なものです。ながらく
埋もれていましたが、90年代半ばにロンドンのEMIで再発見され、
その後、東芝EMIよりCD化され、我々が聴くことができるようになった
という曰く付きの音源です。
それまでは、日本人の初録音は1903年に来日したグラモフォン社の
アジアレコーディングツアーでの落語や当時の邦楽演奏の録音が最初と
考えられていました。
このCDのブックレットには、この音源の発見の経緯や、当時の状況の
再現が詳しく記述されています。発見の興奮が伝わってくるスリリングな
読み物としても秀逸です。

その中からいくつか紹介をして、当時に思いを馳せてみましょう。

川上音二郎は、オッペケペー節で一世を風靡した大衆芸能
の芸人であり、一座の座長でした。その妻の貞奴もその美貌と踊りで、
一座の人気を大いに高めました。川上音二郎一座は、何度か
欧米の公演旅行を行なっています。その一つが、1900年の
パリ万博の公演でした。ロンドン経由でパリに入りましたが、どこでも
熱烈な歓迎を受けました。パリでは、ロダン、ドビュッシー、ピカソなど
多様なジャンルの芸術家に感銘とインスピレーションを与えたことが
語り草になっています。

その人気に、当時できたばかりのグラモフォン社が眼をつけました。
わざわざパリに録音機材を運んで一座の演奏を録音し、商業
レコードとして販売したのです。そのSP盤がロンドンのEMIに残って
いて90年後に発見されたのです。

ただ、残念なことにこのレコードには、音二郎と貞奴は参加していません。
一座のメンバの演奏が記録されています。
曲ごとに名乗るのでわかります。一曲目が有名な「オッペケペー」ですが、
現代でいえばラップとでもいうか、気風のよさというか切れ味のよさに
当時の大衆芸能のパワーが伝わってきます。
他にも長唄、新内、端唄など、当時の流行曲がどのように演奏されていたか
の貴重な記録となっています。

さて、このレコードを通して、19世紀末から20世紀初頭の日本や西洋
の世相が見えてきます。
明治も後期に入り、日本は日清、日露戦争を経て、次第に国力を
付けてきた時期です。西洋文化も日本に浸透してきています。
一方、欧州では、ちょうどジャポニスムの真っ只中でした。日本文化に
対する関心は、多くの芸術家に刺激を与えていました。
このように19世紀後半から20世紀にかけては国際的な流れが加速
した時代でした。その中で、文化交流に大きな役割を果たしたのが、
万国博覧会です。ロンドンやパリで定期的に開催された万博は、人々に
多くの刺激を与えました。
科学技術も急激に進歩して、映画や録音ができるようになり、その商業化
が始まった時代です。

まさに、そういう時代に、パリに日本から川上音二郎一座がやってきて、
その記録を残していったわけです。歴史的なレコードができたのはまさに
偶然ですが、こういうことを考えると歴史的必然とも思えてきます。

ただ、日本と西洋の文化をお互い完全に理解し合うのは難しかった
ことは想像できます。それは、まさに同時期ロンドンにいた漱石が直面
したことでもあります。
実際、当時の西洋人の日本の一般的イメージは、「ハラキリ、ゲイシャ」
といったステレオタイプのものでした。川上一座も、貞奴は、まさにゲイシャ
そのもののイメージを演じたし、毎回演目にはハラキリを必ず一回は入れた
そうです。
同じころのアメリカでは、白人が顔を黒く塗って黒人を茶化したように演じる
ミンストレルショーが人気でした。異文化を完全に理解するのは難しいという
問題は今なお新しい問題とも言えます。

このレコードに戻ります。このレコードは、カタログにも載って商品化されました。
なぜ、90年間も日本で知られなかったのが謎です。ブックレットでは様々な
記録からその推測もしています。川上一座は、このレコードの存在を知らなかった
ようです。
一座の録音も、軽い乗りでリハーサルの記録くらいにしか思っていなかった
のでは、とも言っています。こういったメディアが意味を持つということは
当時は想像もできなかったこともわかるので、納得できる話です。

一枚のレコードから様々なことが見えてきて、興味はつきません。
記録を残すことがいかに大事なことかも思い知ります。
後世に遺産を残すためにもアーカイブの考え方が重要になってきます。

長くなったので、次回にこの話題を考えてみましょう。

名作ライブ 鈴木




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